たったひとりのあなたに今読んでほしい『くもをさがす』西加奈子

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西加奈子さんは以前からお名前やいくつかの著作は知っていたが、今まで読んだことがなかった。たまたまアマゾンで本を探しているときに『わたしに会いたい』と並んで気になるレビューが多かったため、2冊とも大学の図書館で借りて読むことにした。

『わたしに会いたい』では女性として生きるということはどういうことなのか、という問題を何度も問いかけられているように感じた。またこの二冊は内容が重なるする部分があり、気になる方はどちらも読んでみるとより作品の面白さを感じられると思う。

この本は著者である西加奈子さんの乳がんの闘病生活を綴った本である。

読んでいく中で自分の生き方を考えさせられる言葉やシーンが多く、良い意味で前向きに「人の死」を意識することができ、より良い「わたし」の人生を生きてみようという勇気をくれる本であると感じた。

「内容紹介」

 2021年コロナ化の最中、滞在先のカナダで乳がんを申告された著者が、乳がん発覚から治療を終えるまでの約8か月間を克明に描いた。著者初のノンフィクション作品。
これは、たったひとりの「あなた」へ綴られた物語。

(河出書房新社HPより一部抜粋)

感想

私は私だ。「見え」は関係ない。自分自身がどう思うかが大切なのだ。

言葉の力を強く感じた。本書のところどころでたくさんの本や歌詞、詩が引用されている。その言葉たちが著者を救ってきたのだろうと考えながら読み進めていた。
本書を読み終えて一層生き方や死について意識するようになった。死はネガティブなものではなく当たり前に存在していること、そしてそれを認識し受け入れどのように生きていくか考える癖をつけるきっかけを与えてくれたと思う。がんとの闘病生活の記録にとどまらず、人生の先輩として著者自身が「私」に経験を通して語りかけてくれているようだった。死を意識することで、これからどのように生きて行きたいか、今どんな選択をするのか考えるようになるのだと思う。
そして日本と海外生活で感じたことや文化的な違いもとても興味深い。日本での「NGコーデ」「オバ見え」「イタ見え」…このような風潮は無言で近づき私たちの他者性(自己とは異なる、他者としての特性・固有性・異質性)を剥ぎ取っている。
しかしその文化の違いは簡単に優劣をつけるものではなく、違いに気づきながらもそれぞれの良さがあると再認識できる。そのためには違う考え方、習慣を否定するのではなく、なぜそう言う行動をしたのか考えることが必要なのだと思う。
死と隣り合わせであることを受け入れ、時間が与えられる限り自分らしい美しい瞬間を増やしていくように生きていきたい、そう思えるエッセイだった。
人生でまた読み返したい大事な一冊になった。

ハイライト

私はたくさんの写真をみんなに送った。みんな褒めてくれた。みんなの言葉に、私は照れなかった。だって私は、間違いなく美しかった。

(著者が抗がん剤治療開始のため、美容室で髪を剃った後のシーン)

絶望から逃れる道や方向が分からなくても、精神を広げることはできる。(イーユン・リー)

20代の頃、年を取るのが怖かった。若さがすべてだ、おばさんになったら終わりだ。…つまり、やはり脅されていた。
でも自分が年を重ねておばさんになった今、何を怖がっていたんだろう、と思う。誰が私を脅していたんだろう。おばさんになったからと言って、自分の喜びにリミットをつける必要はない。…私は喜びを失うべきではない。

ガンに罹った人は、原因を考えてしまうそうだ。…でも、それは誰にでもおこる。

人は一人では生きていけない。

死そのものは公平だ。…死は、私たちが呼吸をしているすぐそばにある。…私たちはよく、それを見過ごす。

当たり前すぎて俺ら忘れがちだけれども 人生は一回 たった一回しかないんだ

『マイペース』田我流

「あなたの体のボスはあなたやねんから」

カナダの看護師の1人がか著者に掛けた言葉(著者は英語が関西弁で変換されるらしい。)

人間に、それがどんな常態の人間であれ、同じ人間として接する、という意志が、バンクーバーには通底しているように思う。

みじめではない と思いたい。 だのにひとは みじめさのなかではじめて生きる

『存在のための歌』

見つめた先にあったものは、大抵、私の中にある恐れだった。…恐れには形がなかった。…私は恐れを抱きしめた(瞑想)

がんばってきただけ。いっときでもがんばらなかったら不安だから、それで必死にやってきただけなのよ。

ハンガン『回復する人間』

私たちはどのような状態であっても、自分自身の身体で生きている。…本物の私たちの身体を、誰かのジャッジに委ねるべきではない。

(乳房切除の話の中で)

身体が健康であれば、自然と精神も上向く。精神が安定していれば、体も言うことを聞いてくれる。心と身体は一つだ。

私は「私」の所在について、不思議な感覚を持つようになっていた。…何かが私に起こっている時、その出来事と私には、いつもどこか一定の距離があった。

私は私だ。

自分の他者性を捨てることでみんなに近づき、集団に溶け込むことは息をすることを楽にした。それは同時に、他人の他者性を忘れ、マイノリティの存在をなきものにすることを受け入れることだった。

…特に日本の女性は、あらゆる美の基準に自分を照らし合わせることを求められているように思う。…どうしても目につくのが「NGコーデ」や「オバ見え」「若見え」「イタ見え」などという言葉だ。

平坦な胸をしていても、もちろん乳首がなくても、私は依然女性だ。…私が私自身のことを女性だと、そう思うからだ。…「見え」は関係ない。自分が、私は、私だ。私は女性で、そして最高だ。

…私も結局「周りからどう見えるか」からは逃れられていないのだ。

…治療が終わった今も、人生の目的を失ったとは思っていなかった。なぜなら私には「書くこと」があったからだ。実際このエッセイを書き始めたのは治療中だった。

どうして私は、こんなに幸福なのに、同時にこんなに寂しいのだろう?

自分の恐怖を、誰かのものと比較する必要はない。全くない。怖いものは怖いのだ。

怖いのはストレスを感じること。だからこそ些細なことは気にせず、とにかくおおらかに生きることを目指している。

これは「あなた」に向けて書いているのだと気づいた。

気になる方はこちらからチェック!

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