学生時代、私は部活に全てを捧げていた。朝も夜も、休日さえも、私生活の大半を部活に注ぎ込んでいた。
時間を惜しまず、ひたすら打ち込むことが「正義」だった。
「努力=成果」だと言い切ることができるわけではない。だか時間をかけることは一種の精神安定剤のようなもので、直接評価とは関係ないが自分を支える一つであったと思う。
チームの勝利に貢献をする、プラスの影響を与える、そんな結果が全ての世界。
社会人になっても、結果が求められるという意味では変わらないと思っていた。でも今、私はその「結果の出し方」に戸惑っている。
私が入社したのは、いわゆるホワイト企業だ。
勤務時間はきっちり守られていて、特に新卒が少しでも残業しようものなら、すぐに部長から「もう上がっていいよ」と声がかかる。
まだ何も貢献できていない自分が会社に長く居残ることのコストを考えれば、それも正しいのかもしれない。
でも今日、もう少し詰めて取り組みたかった業務があった。あと数十分あれば、もっと納得のいく形にできたのに、という悔しさが残る。
部活時代なら、そんなの当たり前にやり切っていた。でも今は、途中で切り上げて退勤する。それがこの職場のスタンスであり、「ルール」なのだ。
最近感じているのは、会社員は「時間をかけること」ではなく、「限られた時間の中で、どれだけ成果を出せるか」が求められているということ。
効率よく、ムダなく、精度の高いアウトプットを出す人が評価される。
長く働いているから偉い、頑張っている、とは誰も思わない。シビアだけど、だからこそ本質が問われる気がする。
「時間をかければ報われる」という過去の感覚を、今の自分が少しずつ手放しつつあるのを感じる。社会人ってやっぱり、難しい。
けれど、こうした葛藤もきっと、成長の途中にある証拠なのかもしれない。
時間ではなく価値を生み出せるようになったとき、本当の意味で「社会人」になれるのかもしれない。
自分が戦っている場所のルールの中で勝つこと、それを改めて理解した日。