いつもはこの会社員日誌を仕事帰りに書くことが多いのだが、今日は朝の満員電車の中からここ最近頭の中で感じるモヤモヤを吐き出していこうと思う。
時々生きる意味がわからなくなる
死にたいわけではないし、とっても死にたいほど辛いことが起きてるわけでもない。
なのにふとなぜ生きてるのか考えてしまう。
自分を生かしているものはなんなのか不思議に思って考えると、思いつくのは家族と未来だ。
「家族」は私をほぼ無条件で愛してくれる。だからこそ甘えて感情をぶつけてしまったりすることもあるのだが、求めれば基本的に私を暖かく迎え入れてくれる存在だ。そんな人たちを無意味に傷つけたくない。
「未来」は私にとって希望だ。何も成し遂げてない私だがもしかしたら未来は自分の想像もつかない面白いことが起こるのではないか、そんな可能性が少しでも残っているのならわたしは生きたいと感じるのだ。
よくある例えばの話「明日死ぬとしたら」
これを考える時にやっぱり後悔が残る。例えば世界中を旅したり、自分が輝くような仕事をしたり、たった1人の人を愛したり愛されたり…
そんな経験をできたらどんな気持ちになるのだろうか。やっぱりそれを知るまでは死にたくない。
でも今やってる仕事、生活の延長にそれが待っている気がしなくて、でもそれを達成するためにやるべきことがわからなくて、自分にできる気がしなくて…
今こうやって書き出すと、生きる意味がないとか言いながら未来に縋っていて、でも言い訳ばかりで自分は滑稽だななんで笑えてくる。
なぜいつも頑張っているのか
わたしはよく周りから「頑張ってる」「ストイック」と言われることが多い。
なぜそういわれるんだろう(みんなよりがんばっていると考えて行動しているわけではない)と考えた時に思いついたのは、二つの理由だ。
一つ目は人生に意味を持たせるため、二つ目はこんな自分でも生きていてよいと思えるようにするためだ。
「人生に意味なんてない、考えすぎ」と思う人もいれば、はっきりと人生に目的や目標を持って歩む人がいる。
わたしは両者とも少し違くて、人生の意味を見つけるために、もっと言えば人生の生きる意味がわからないから、短期的な目標を目の前に置いて自分の尻を叩いているのだと考えている。
二つ目の「自分でも生きていてよい」と思えるためというのは、例えば承認欲求みたいに他者から認められたり頼りにされたりすると、自分の存在意義を感じることができると同じ感じ。
もっというと他者というよりも「あの時の自分より良くなっている」と自分自分で認めてあげられるのもがほしいのだろう。
自分の劣等感と向き合いながらもまだまだ自分は良くなるかもしれないという材料を毎日毎日をかき集めて、生きる希望にしているんじゃないかなんて考えている。