働く時の服装問題
新卒の人、特に制服などが決まってない職場で働く新卒の中でほぼ必ず話題になる問題がある。
それは、
「何着ていくか問題」。
学生時代は制服があり、もし大学に通ってたとしてもそのくらいであればほとんどはTPOなど気にせずに済んだであろう。
私の場合は講義の後は部活があったのでオフの日以外はほぼジャージ姿で大学をうろついていた…
社会人になって配属されオフィスに入った時、まずは周りの人が何を着てどんな履物を履いているのかをしっかり観察した。
だが私の職場の場合はほとんど男性だったのであまり参考にならない…。先輩社員に聞いてみたが、「そんなにかっちりしなくて大丈夫だよ」と言われたが、実際女性の人が少ないからあんまりわからないらしい。
今日物件を見に行くために外に出たのだが予想以上に歩いたので、内勤が確定しているとき以外はスニーカーで行くことを決心した。
オフィスカジュアルっでいいとは思うのだが、そのさじ加減が難しいので、(ジャケットを着ない場合何を羽織ればいいのか…)少しずつ研究していこうと思う。
わたしにとって服装選びが難しい理由は他にある。
それはきれいな格好をして働く女性に憧れのようなものを感じているからだ。「プラダを着た悪魔」を見て服装とその人の生活レベルには大きな影響・つながりがあると感じている。
だからこそ「ただ楽だから」という理由で惰性で服を選びたくないという謎のこだわりがある。
あとはずっと大学四年生まで部活漬けだったからこそ、毎日メイクをしてきれいな服を着ておしゃれができる生活は大変だが楽しいのだ。
下品な服装は服だけが目につき、上品な服装は女を引き立たせる。
ココ・シャネル
いつになったら大人になれるのか
早く大人の女性になりたい。
年を重ねているだけで、全然大人になっている実感がない。社会的には大人という枠組みにの中に入っているが、精神的にも行動や雰囲気を含めてそんなものは自分から微塵も感じられない。
今日仕事中に窓に映るスーツ姿の自分を見て少し笑えて来てしまった。似合っていないわけではないので、どこか不相応で社会人のコスプレをしてるみたいに見えた。
お恥ずかしい話だが、もちろん大人の色気などというものはまったくなく正直それがどんなものかもわからない…
いつになったら、何歳になれば、大人になるのだろう。
美しさは女性の「武器」であり、装いは「知恵」であり、謙虚さは「エレガント」である。
ココ・シャネル
職場の人間関係(距離感)
配属して二日目、私は節約もしたいので今日からお弁当を用意してた。
教育担当と先輩は外でご飯を食べに行ったのだが、訪ねて方や吹いたり我話している感じを聞くと私を誘ってくれようとしていたのかもしれないと思った。
勘違いの可能性もあるがそれを察して一緒に行きたいですとか、今度は私も行きたいので誘ってくださいとか後輩らしく可愛げがあることが言えたらいいなと思いつつ、私は一人でお弁当を食べた。
話しているときに、『こういえば愛嬌あるな』とか『好かれる人、人と距離を詰められる人は、こう言うんだろうな』とか考えるのだが、実際に自分の声になることはほとんどない。
いつも当たり障りのない会話をして、人とぐっと距離を詰めることが苦手だ。
仲良くなるなるまでの道のりを考えるととても苦しくなるし、人と長くずっといるのもあまり得意ではない。(それは相手はどうしてほしいか、何が話したいのか、この間をどうしようなど余計なことをあれこれ考えてしまうからだと自分では分析している)
だからこそこの返しや発言が最適解なんだろうなと思っても、それを実行することはできない。
それは自分を守る行為であり、そんな周りを気にしすぎず自分を大切にできる自分は嫌いではないものの、実際はいろんな人と関わって様々な経験をしたり価値観を知りたいという欲求は消えない。
幼い頃は気づけばいろんな人と友達になって、今思えば信じられないスピードで人間関係を構築してきたのに、いつどこで変わったのか。
あえて一人でいることを大切にする時もあっていい。
自分の価値観を他人にあれこれ言われたりするのは嫌だし、ましてや整理整頓することなどやめてほしい。ココ・シャネル
20代男性の恋人いる率の高さ
社会人になって思うのは女性よりも男性のほうが圧倒的に恋人いる率が高いことだ。
女性同士で話していると恋人が今いる人のほうが全然少ない印象だ。めちゃくちゃかわいい人でもいないということも普通にある。
一方で男性は聞くと大半は彼女がいる。そして厄介なのはいることが本当にわかりずらい。
これは自分の価値観と社会人の常識のずれかもしれないが、積極的に飲みに行ったり、何なら自分でのみを企画する。
とっても仲がいいとかならわかるのだが、そうでもない相手とそんなに飲みに行く必要性はあるのか…?なんて考えてしまう。これは自分が重く考えすぎなのか…
だから異性には特に慎重に接するようにする。相手がいるかわからないからだ。
そして同時に将来が不安になる。年齢が上がるにつれて単純計算母体が減るからだ笑
そんなことを考えているときにいつも思うのは、なぜ自分のパートナーは男性前提なのか、そしてそもそもパートナーが必要だと考えている自分を不思議に思う。
異性男性問わず人を好きになったり、恋人関係になったことがないからこそ、結論は出ない気がするし考えてるだけでは意味はないんだけどね。
この不確かであいまいな自身の将来像が時々嫌になる。絶対に叶えたい、実現したいというものが分からないのが苦しい。
実際にどう生きたかということは大した問題ではないのです。
大切なのは、どんな人生を夢見たかということだけ。
なぜって、夢はその人が死んだ後もいき続けるのですから。ココ・シャネル
とりあえず今はいろいろやってみよう
まだまだ社会人は始まったばっかりで、今の仕事が自分に合っているのか、自分の理想の姿すら想像もつかないけれど、今はあらゆることにチャレンジしたり全力で取り組んでみようと思う。
あとは想像もつか二ところに到達するために、まずは常識や周りの普通を疑ってみようと思う。
あえて大多数の人とは逆の行動をとったり、今までの自分だったら躊躇するようなことにチャレンジしてみたり…
わたしとして生きる一回の人生をもっと面白く創造したい。
私の人生は楽しくなかった。
だから私は自分の人生を創造したの。ココ・シャネル
かけがえのない人間になるためには、常に他人と違っていなければならない。
コメント