殻を破る音がした:バスケと、新しい自分

こんなことを思う

私は、学生時代のほとんどを厳しい部活で過ごしていた。

毎日が必死だった。

レベルの高い環境で、常にプレッシャーと隣り合わせ。

劣等感、焦り、不安、そして苦しさ――

泣きながら部活に向かった日も、何度もあった。

でも、それでも続けていたのは、ほんの一瞬でも「うまくいった」と思える瞬間があるからだった。

あの一瞬の喜びは、何にも代えがたいものだった。

その一瞬の感覚をあじわうために、毎日、練習も自主練もトレーニングも全部、本気で向き合ってきたんだなと心から思った。

引退のとき、そんな自分を少しだけ誇りに思えた。

でも、あれだけ真剣に向き合っていたからこそ、引退してからはバスケに対して中途半端な関わり方をするのが怖くなった。

やってみたい気持ちはあっても、「今の私がバスケしていいのかな」って、どこかで距離を取ってしまっていた。

2024年の12月に引退してから、ほとんどバスケをしてこなかった。

今年社会人になってからは毎日がバタバタで、自分のことで精一杯だった。

だけど――

ゴールデンウィーク、ふとしたきっかけでバスケに行ってみた。

久しぶりの体育館、ボールの感触、コートを走る感覚。

あのときの、自分の殻を破るような感覚が、また体に戻ってきた。

緊張もあった。

まわりは知らない人ばかりだし、たくさん話せるわけじゃない。

でも、それでもバスケをしているときの自分は、少し自由だった。

何も考えずに走って、声を出して、ボールを追っていると、自然と笑えていた。

全然体力はなくてゼーゼーするし、シュートは入らないし、今までしないようなファンブルもした。

でもそんな自分でもいいなって思えた。

今はいろんなサークルにちょこちょこ行っていて、周りは男性がほとんどで、少し遠慮してしまう自分もいる。(ミスを恥ずかしがっているのかも)

いつか性別なんて関係ない!と、堂々と自由にプレーしたい。

ただバスケがしたい。ただ、バスケを楽しんでいる。

あの頃の「頑張らなきゃ」じゃなくて、「楽しんでもいいんだ」って思えたとき、

ようやくバスケとまた向き合える自分になれた気がした。

新しい場所に行くこと、新しい人と関わること。

まだまだ緊張するし、正直、勇気もいる。

でも今は、バスケをきっかけに、少しずつ世界が広がっていく気がしている。

部活で自分と向き合い続けた日々も、今の新しいスタートも、どちらもきっと大切な自分の一部。

そう思えるようになった、社会人最初の春。

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